「美しくありたい」という言葉を口にするのが
どこか気恥ずかしく感じる瞬間があります。
年齢を重ねるほど、
その気持ちを“見栄”や“若作り”と誤解されるような気がして、
つい、心の中で打ち消してしまうのです。
社会の中で「美」は、
長いあいだ“若さの象徴”や“飾り”として扱われてきました。
デパートのパウダールームでお化粧直しをしているのは、若い人ばかり。じぶんがそこに立つのはどこかはばかられてしまう⸻
そんなふうに私たちは、
「もういい年だから」
「自然体でいい」と言い聞かせながらも、
本当は心の奥で、
“美を遠ざける自分”に少し寂しさを感じているのかもしれません。
拒否反応の正体
“美しくありたい”という願いに、
なぜこんなに抵抗が生まれるのでしょうか。
それは虚栄心ではありません。
むしろ、傷つかない為の防衛反応なのです。
「見た目ばかり気にして」と言われた記憶や
「年相応に」と諭された瞬間。
また、じぶんでじぶんにかけてしまった
“もう綺麗になれない”という負のコマンド。
社会の中で繰り返し浴びてきた“無言の圧力”が、心のどこかに小さな拒否反応として残っているのです。
けれど、その拒否はもう、
私たちを守るものではなくなっています。
むしろ、自分を縛る“不要な膜”になっているのです。
美とは、心が呼吸した結果
若さは美しいですが、美しさの絶対条件ではありません。
また、あなたの美しさの中に”他者の基準”も存在しません。
美とは、心が素直に呼吸した結果として現れる“自然現象”です。
無理を手放したとき、
姿勢がふっと柔らかくなります。
息が深くなったとき、
声のトーンが変わります。
鏡の前のじぶんに微笑むことができたなら、
それだけで、あなたの表情は内側から優しく変わるのです。
そんな“生きやすさ”の瞬間にこそ、
本当の美は宿っているのだと思います。
美しくありたいという勇気
“美しくありたい”という想いは、
虚栄でもわがままでもありません。
それは、生きる力そのものです。
何歳になっても、
なりたい自分を形づくっていいのです。
それは抗いではなく、
「自分を大切に扱うこと」への再宣言だからです。
美を、心の自然な現象として取り戻す
そのとき私たちは、
もう誰かの基準ではなく、
自分の呼吸に合わせて生きています。
それが、生きやすさの形としての美なのだと思います。
— Juna Mind & Beauty


